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2012年12月1日土曜日

才能の見つけ方

成功実学でもお話していることですが、
自分の好きなことをしているときは「楽しくて、努力や苦労なんて言葉は不要」
これこそが才能発見の糸口です。

人並み外れた成果を残した人達は間違いなく、「自分の好きなこと」をしています。いや、し続けています!!

たまたまその才能に世間が「好ましい評価」を付与したに過ぎません。ゴッホのように亡くなってから「評価」された芸術家もいます。彼は絵を描く才能を自ら発見し、売り込もうとしたわけではなく、ただ絵を描く事が好きだったのでしょう、そして、飽きることなく描き続けていたのだと思います。

「私は何をしているときストレスなく継続できるか?」
を自らに問いかけてください。多分、寝食を忘れて「夢中になれる具体的な何か」があるはずです。ここで、単純に「その何かをすることが才能」なのかと云えば少し違います。


■才能の抽象化

絵を描くことが「上手いとか下手」とかいうのは「技法」です。
そうではなく「絵を描くことの本質は何か」を考えましょう

たとえば「創作活動」とか「色彩の認識」とか「形状の認識」とか。。。
絵を描く行為は「表層に現れた現象」でしかなく、
その背後に配置された「本質」が存在します。

その本質に才能があります。

例えば: 
人とおしゃべりすることが好きな人は、おしゃべりする才能ではなく、「違いを発見する」才能、あるいは「共感する」才能があるかも知れません。
マンガを読む、ゲームをする、歌を唄う、散歩をする、ゴルフをする、機械ものを分解する、手芸をする、お料理をする、何でもいいです。

「自分が飽きることなく続けられる何か」を探し、その背後にある(であろう)本質を見極め、抽象化してみましょう!




あなたの才能は何ですか? (via tessar)



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2012年4月13日金曜日

頭よりも努力をほめなさい



ドゥエック氏の最もよく知られた研究は、クローディア・ミューラーとともに、ニューヨーク市内の12の学校で行ったものだ。研究では、5年生400人あまりに、言語を用いない比較的やさしいパズルを課題として与えた。テスト終了後、研究者たちは生徒たちに点数を伝え、簡潔な言葉でほめた。



  • 半分の生徒には彼らの知性をほめた(「あなたは頭がいいんだね」)。
  • 残りの半分には彼らの努力をほめた(「一生懸命やったね」)。


ドゥエック氏は最初、このほめ方の違いが大きな違いを生み出すとは考えていなかった。しょせん言葉にすぎないからだ。しかし実験の結果、5年生に与えられたほめ言葉に劇的な影響力があることがわかった。

まずは、最初の生徒たちにまた別のテストを2種類与え、生徒たち自身にどちらか好きなほうを選ばせた。ひとつは最初のものより難しいパズルだが、やればとても勉強になると説明された。もうひとつは、最初のものと同様の簡単なテストだ。努力をほめられた子どもたちは、90%近くが、難しいほうのパズルを選択した。一方、賢さをほめられた子どもたちは、ほとんどが簡単なほうのテストを選んだ。ドゥエック氏によると、知性をほめられた子どもは、自分を賢く「見せる」ことに気持ちを向けるようになり、間違いをおかすリスクをとれなくなるのだと説明している。

次に、もっと難度の高いテストが与えられた(5年生に対して8年生向けのテストが与えられた)。賢さをほめられた生徒たちはすぐ挫折してしまったが、努力をほめられた生徒たちは、このテストに熱心に取り組んだ。そして、このテストを受けた後で、両群の生徒たちは、成績が自分より低かった生徒と高かった生徒のうち、どちらかのテスト用紙を見る選択肢を与えられた。

賢さをほめられた生徒たちは、ほぼ全員が、自分よりテストの出来が悪かった生徒と自分を比較することで、自尊心を強化するほうを選んだ。これに対し、努力をほめられた生徒たちは、自分より成績のよかったテストを見るほうを選ぶ確率が高かった。彼らは失敗を理解し、失敗から学び、よりよい方法を編み出したいと思ったのだ。

最後に、最初のテストと同様の難易度であるテストが行われた。努力をほめられた生徒たちは、テスト結果が有意に上昇し、平均スコアが30%伸びた。彼らは、たとえ最初は失敗しても挑戦することを望んだので、より高い成績を得たのだ。この結果をさらに際立たせるのが、最初にランダムに「賢い」グループとされた生徒たちのスコアだ。こちらは前回から20%近くも低下した。失敗の経験でやる気をくじかれた「賢い」生徒たちは、実際に退歩してしまったのだ。

生徒の「賢さ」をほめることの問題は、教育というものの心理学的なリアリティを誤った形で示すことにある。それは、「間違いから学ぶ」という最も有益な学習活動を避けさせてしまう。間違いをおかすことで生じる不愉快な反応を経験しない限り、われわれの脳が既存のモデルを修正することはない。いつまでも同じ間違いをおかし、自信を傷つけないために、自らを成長させる機会を逃し続けるのだ。






「より速く適切に学べる人」:その理由 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム


2011年1月20日木曜日

クリティカルエイジ

http://unou-tore.livedoor.biz/archives/963713.htmlより

「クリティカルエイジ」と「IQアップ」の関係について、
以下のように述べています。

人間の脳が発達し続け、学習能力が非常に高い状態なのが、
生まれてから13歳までの時期。
この期間のことを、
脳の学習限界年齢「クリティカルエイジ」と言います。

現在、学術や芸術、スポーツの世界で活躍している人の多くは、
この学習能力が非常に高い時期「クリティカルエイジ」に、
学習や練習を積んだことが大きく実を結んでいる。
と言えるでしょう。

『若い世代のIQを上げるのは
さして難しいことではありません。
むしろ、若ければ若いほど簡単です
もっと言うと、若いときから始めるべきなのです。



 

2011年1月5日水曜日

子供のIQを高める抽象度の高い思考教育

http://unou-tore.livedoor.biz/archives/909110.html から


「色々な事象について、子供に自分で解釈させる」ということ。

 これは、例えば、「赤信号ではなぜ止まらなきゃいけないんだろうね?」と
 子供に問いかけてあげます。

 すると子供は「車に轢かれちゃうから」と答えるかもしれないし、
 「止まらないと怒られるから」と答えるかもしれない。

 子供が出した答えが、正しかろうが、間違っていようが、関係なく、
 子供が自分の頭を使い、自分なりの解釈をする練習になればよいのです。

 大切なのは、「これはこういうものなんだよ」と教え込むことではなく、
 「どうして、こうなっているんだろうね?」と問いかけて、
 子供なりの解釈を説明させるということ。

 このときの注意点は、子供の答えが間違っていたとしても、
 親が「正解」を知識として教えてしまわないことです。

 自分の頭で考えさせることが目的なのに、教えてしまっては意味がないばかりか、
 逆効果になってしまうそうです。

 もし、子供の答えが、一般的な常識と大きくかけ離れていたり、
 社会的に問題のあるものだったりしても、ただちに「誤り」として正すのではなく、
 更に問いを重ねて子供に考えさせる。

 例えば、先ほどの問いに対して、
 「赤信号で止まる理由なんかない」とか「わからない」と答えたのであれば、
 「どうして、そう考えたの?」とか、「じゃあ、止まらないと、どうなるのかな?」と、
 問いを重ねていく。

 苫米地さんによると、
「物事を説明するためには、その事象を一度抽象化する必要がある」とのこと。

 その意味から、「説明をさせる」という訓練は、
 抽象思考を身に付けさせることになるのだそうです。

 ちなみに、この、「説明をする」・「なぜ、そうなの?」という
 思考をするくせをつける方法は、
 大人が抽象思考を養うための訓練としても有効なのだそうです。


 

2010年11月15日月曜日

才能とは

才能ある人って、中学あたりでもう才能がある。
あとはそれに磨きをかける課程があるばかりでね。

年取ってから開花する才能というのも、まあないではないけれども、
たいていは最初からあるのに、
それに気がついてないだけなんですよね。

おそらくそういう人は中学くらいでそれやらせても、
うまいはずですよ。


たけくまメモ : 独学に勝る勉強はない(1)より

能力に差はないけど、やはり才能には天賦というものがあるのですね。
 
 
 

2010年11月5日金曜日

2010年8月1日日曜日

人は「考え方」を手に入れると頭のよくなる生き物である

“以前私は友人から
「娘が二つの大学に合格したのだがどちらにいれたらいいのだろう?」
と相談されました。


私が「どこの大学に受かったの?」と聞くと
「ハーバードとスタンフォード」という答えが返ってきました。
どちらも世界トップクラスの大学です。


それにしてもどのようにして合格させたのでしょうか?
私は気になって訪ねました。


友人は「特に何もしていない」とのこと。


ただ、彼は娘さんに
幼い頃からなんでも説明させてきたそうです。


それを聞いて私は納得しました。



子供は「赤信号でなぜ止まらないといけないか」などと
何気ない疑問をいだきます。

そこで「どうして止まらないといけないと思う?」
と説明させるのです。




もし子どもが「危ないから」と説明すると
そこで「なぜ危ないの?」と、さらに問いかけます。

そうやってどんどん説明させるのです。
仮に相手の答えが間違っていても構いません。
とにかく疑問を持ってどんどん説明させるのです。


最初は戸惑うでしょうが、
慣れてくると次第によどみなく答えるようになってくるはずです。”



 

2010年6月1日火曜日

上手なほめ言葉

「上手なほめ言葉」は、
「すごいね。どうやったらそんなふうにできるようになったの?」
というものだった。

その方が言うには「よく頑張ったね」とか「上手だね」とか「素晴らしいね」というのは、
表面的なほめ言葉であって、ほめられた子供には強く響かないらしい。
親が自分の子供をほめる場合にはそれでもよいそうだが、
指導にあたっている人間が使うには稚拙なほめ言葉だそうだ。


授業実践の記録を掲載しているサイトも多いが、
それを見ると「いいね、いいね」とか「おっ、それは素晴らしいね」とか
「きれいだね」などを連発している授業例も多い。

たまに言われるのなら、言われた子供も嬉しいだろうが、
(セラピストの方の言葉だと)
あまり連発すると逆効果になることもあるそうだ。

「上手なほめ言葉」は、「すごいね。どうやったらそんなふうにできるようになったの?」ですね。